すずまろ物語

⑱猫に変えられた人間性

再診結果の連絡

 

 始業は8時半からでしたが、すずのことを思うと業務が手につきませんでした。診察の予約は9時半だったので妻から連絡が来るのは10時頃。始業から1時間半の間、自席に座ってパソコンを操作はしていましたが仕事はできていなかったと思います。

 予想通り、10時過ぎに妻からのLINEが入りました。

 「黄疸が出たことによる脱水で肝リピドーシスになりかけであるため入院。」

 「肝リピドーシスって何や?」となったため、すぐにインターネットで調べました。調べると栄養失調により体内の脂肪が分解され、脂肪が肝臓に蓄積することで食欲減退、元気喪失を起こすというものでした。最近、ご飯をほとんど食べなかったことが原因かなと思いました。前回の診察後に少しご飯を食べようとしていたのは点滴が効いていたからだったのかもしれません。辛そうだなと心配になりました。

 調べているうちに妻から続け様にLINEが入っていました。

 「腹部をエコーで見ると水が溜まっているみたい。」

 腹水が原因でお腹が気持ち悪いため食欲が無く、体が苦しくて動きも鈍かったのです。

 

 そして更に、そうであって欲しくなかった、最も恐れていた事が次のLINEによって知らされました。

 「食べない、飲まない、本来外に出るはずの腹水が溜まっている、そして黄疸が出ている。 FIPの疑いがあるため検査。」

 

 FIPという文字が重く突き刺さり、ボクは職場で一瞬放心状態になりました。

 妻には「わかった。ありがとう。仕事が手につかないわ。」と返事をしました。そして、入院中は面会に行こう等と複数回ラリーをしました。妻は入院の部屋にいるすずの写真を送ってくれましたが、朝、家で見たときよりも苦しそうな表情をしていたため、辛すぎてその写真を長くは見れませんでした。

 

 妻とのLINEが終わった後、仕事に戻ろうと思い、座り直してパソコンに目を向けました。しかし、数秒もしないうちに涙が出て止まらなくなってしまいました。

 「あー、、あかんあかん。」と心の中で思い、一度席を外し、周りに気付かれないようにトイレへ向かい個室に入りました。LINEを見返し、またシクシクと数分泣きました。

 全く気持ちが落ち着きませんでした。自席に戻っても仕事なんて手に付くわけがなく、泣いてしまうだけだと思ったため、適当な予定を社員同士の共有カレンダーに入れて外出することにしました。当時の上司は「プライベートを仕事に持ち込むことは言語道断」とよく口にする方でしたが、到底無理でした。

FIP

 FIPとは、「猫腸コロナウィルス」というウィルスが強毒な「猫伝染性腹膜炎ウィルス」というものに変異することによって発症する疾患です。「猫腸コロナウィルス」を持っている猫は多いのですが、そのウィルス自体は病原性が低く、変異さえしなければ大きな問題では無いようです。

 FIPは1歳未満の子猫と老猫に発症しやすいとされており、ウィルスが変異する原因としてはストレスが考えられるとされています。

 FIPは確定診断が困難で、効果的な治療法がわかっておらず、予防法も確率されていません。発症した場合は高確率で死に至る猫にとって最も怖い疾患なのです。

 インスタグラムでFIPと闘う子たち、お別れされた飼い主の方々を数名見たことがあったため、FIPについて少しは知っていました。怖い病気だなぁとは思っていましたが、まさか自分の子にその病が降りかかろうとは思っていませんでした。人間誰しも、恐怖や都合の悪い事等に関しては心の中で「自分は、自分の周りは大丈夫だ」と考えてしまうものだと思います。

 

 事務所を出てから、目的も無く歩き続けていました。頭の中ではすずの事を考えるばかりでした。しかし、歩いていると何処か気持ちが紛れ、涙は止まりました。感情のピークは過ぎたので、寒空の下、公園のベンチに座って缶コーヒーを飲んで心を落ち着けました。

 「一度ボクと妻に奇跡を見せたくれたすずやから、、すずは強い女の子やから!今回も奇跡を見せてくれるかもしれへん!そもそも、FIPかどうかの検査結果も出てないし!陰性かもしれへん!」

 と、自分に言い聞かせるように頭の中で考えました。しかし、この日のボクは全然駄目でした。

 数時間後、事務所に戻ってロッカーに上着を仕舞っていると、すずの事を少し話していた先輩がたまたまロッカールームに入ってきました。そして、「そういえば拾った猫は元気か?」と何気なく声をかけてきたのです。その言葉がトリガーとなり、「もう、、、駄目かもしれないんでず。。。」と返事をしながらまた涙がぶり返してしまいました。先輩は突然後輩が泣き出すものだから、慌ててボクを誰もいない応接室へ引っ張って匿いました。

 

猫に変えられた人間性

  

 落ち着いた後に自席へと戻り、定時までは業務を行い、残業もそこそこに退社しました。妻に退社した旨と家に着く予定時刻を伝えて電車に乗りました。

 電車に乗っている時間は約1時間半あるので、どうしてもすずの事を考えてしまい、思考回路はネガティブな方へ転じていきました。そして見なければよいのに、毎日投稿していたインスタグラムをおもむろに見返していました。

 保護した日、授乳時の奮闘、元気になり始めてどんどん大きくなっていくすずの姿を見ていると更に辛い気持ちになりました。

 生まれて間もない時から酷い状況にあって、やっと元気になってこれから悠々自適に生活していけると思った矢先に、どうしてすずは再び苦しい目に合ってるのだろうかと胸が締め付けられました。気付けばポロポロと涙が止まらなくなってしまっておりました。電車の中で人目があるので扉の近くに立って窓の外を眺めて帰りました。

 家に着いても、出迎えてくれた妻の顔を見ると号泣してしまいました。

 妻は平気そうにしており、「もうできることをやるしかないよ!」と腹を括っているような事を言っていました。ボクは「もう今日ずっと泣いてる。どうしてそんなに平気そうなん?」とポツリと呟きました。妻は過去に飼い猫を見送った事があるからかもしれないと分析していましたが、そうなのか?とボクは考えがまとまりませんでした。

 その夜、妹から「すずちゃん元気になった?」と偶然LINEが入りました。LINEを見たボクは携帯を握りしめたまま、再び泣き崩れ、返信することができませんでした。時間が経つと妻の携帯に妹から電話が入り、状況を説明していました。妻の状況説明を聞いている間もボクは涙が止まりませんでした。電話を切った後、妹も泣いていたようで、両親を驚かしてしまいました。

 両親から励ましのLINEが入りましたが、力なく返事を返し、結局その日は何をする元気も無く布団に入りました。

 翌朝、起きると目はパンパンに腫れていましたが、平日であったため会社へ向かいました。仕事も程々に、ほぼ記憶がありませんが、定時近くで退社したと思います。

 涙は枯れたのか、一日中すずのことを考えてはいましたが、泣くことはありませんでした。

 家に帰ると、次の日も妻が出迎えてくれました。

 しかし、前日とは打って変わって妻はボクと目が合うなり、わんわんと号泣して抱きついてきました。見ると妻の目もパンパンに腫れていました。一日遅れでショックが来たようでした。

 

 すずの再診結果がわかった翌日は構図が逆転していました。

 後々わかったのですが、ボクが泣いていると妻の涙が引っ込み、妻が泣くとボクの涙が引っ込むようでした。

 不思議な感覚でした。つい2年前までは動物が苦手で、動物に纏わる感動、もしくは可哀想なテレビ番組等を見ても何も感じなかったボクがこんなに泣くこととなるとは。全く想像もしていない変化でした。

 泣いている最中、ふと俯瞰に「自分変わったな。」と思うことがありましたが、ポロポロと涙は止まりませんでした。

 あお、こはる、すずによって、ボクの人間性が変えられたことを改めて認識しました。

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